沖響の歩みパートT(1956年〜1971年)
パートU(1972〜1988) パートV(1989〜2008)
1956年5月に沖響の原型「チェンバー・オーケストラ」が誕生しました。以来50年の沖響の歴史は、まさに沖縄県のクラシック音楽の歩みといって良いでしょう。米軍人を中心に産声を上げたことは、沖縄の歴史を象徴しています。しかしどんな形にせよ、オーケストラというクラシック音楽上、大変重要な演奏形態が沖縄に誕生したことは画期的なことでした。最初のオーケストラに参加した方々の意気込みや演奏に対する満足感は、今日の想像をはるかに超えるものだっただろうと思います。 |
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これまで沖響に携わってこられた方々の努力に敬意を表しつつ、今日までの沖響の歴史をまとめてみました。 50年間をいわゆる本土復帰以前(パートT)、復帰後1988年まで(パートU)、そして1989年(平成元年 )以後(パートV)と3つのパートに分けました。都合によりこのパートTについては、まだ詳細が掲載できていませんが、第2代団長の真栄城隆司氏のご努力により記録(沖縄におけるアマチュア・オーケストラの現状、1988年12月、沖縄キリスト教短期大学紀要第17号)が完備していますので、早期に追加していきます。貴重な記録を残された真栄城氏に改めて敬意を表したいと思います。 |
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| 1956(S31) | 米軍人ジョエル・リッシュ氏を中心に,ダブル・クヮルテットにフルート1本,クラリネット1本で「チェンバー・オーケストラ」を5月に結成。練習は那覇琉米文化会館で週2回,演奏会も那覇と各地の文化会館で行なう。 |
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| 1957(S32) | 指揮がリッシュ氏からシーザ・リッチ氏に移りメンバーも25人〜30人に増えたので(半数外人,軍人)名前も沖縄オーケストラに改める。 |
| 1958(S33) | シーザ・リッチ氏からロバート・ウェスト中尉,ジョンシップリ大尉にかわる副指揮者に真栄城隆司氏をおく。 |
| 1960(S35) | 真栄城隆司氏が正指揮者となり,メンバーも県内を中心に本格的オーケストラ活動を始める。ホノルルシンフォニーオーケストラ常任指揮者ジョージ・バラティ氏を迎えて沖縄で始めてシンフォニー全曲演奏する。(曲はハイドン「交響曲第86番」) |
| 1961(S36) | 宮古島,八重山島へ演奏旅行。 |
| 1964(S39) | 真栄城隆司氏が勉学のため上京,またメンバーの数人も進学のため上京し,富原守哉氏を中心に室内楽団として活動を続ける。 |
| 1970(S45) | 真栄城隆司氏帰沖,再びオーケストラ活動始める。 |
| 1971(S46) | 名称を「沖縄交響楽団」に改め団長(初代:渡辺文雄),常任指揮者(真栄城隆司),コンサートマスター(数和子)を決めメンバーも38名で本格的オーケストラ活動を始める。 12月 第12回定期演奏会 |