第66回定期演奏会プログラムノート(曲目解説)

ヤン・シベリウス
Jean Sibelius (1865-1957)

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カレリア序曲 作品10 
Karelia Overture Op. 10

みなさんは「カレリア」という言葉をご存知でしょうか。カレリアとはフィンランドとロシアにまたがる北欧の美しい自然に恵まれた広大な地域の事です。筆者の職場には偶然フィンランド出身者が2人もいて、カレリアについて質問したところ、沢山の美しい森や湖、建物の写真を見せてくれました。パイとシチューが有名で、フィンランドでは知らない人はいないそうです。

しかし、フィンランドの人々にとって、カレリアとはその美しさとは裏腹に、何百年も続くロシアとの国境紛争による、つらく困難な歴史を抱えた地域でもあり、それはいまもなお続いている事も話してくれました。

さて、フィンランドの作曲家であるシベリウスは、そんなカレリアに新婚旅行で訪れた際、その美しい自然や古くより伝わる民謡や伝説から強いインスピレーションを受けました。翌年、カレリア出身者による学生協会の依頼により、シベリウスはその印象に基づいた序曲と全8幕からなるカレリアの歴史劇用の伴奏音楽を作曲します。

1893年の初演を経て、シベリウスはこれを「カレリア序曲」と、全3曲からなる「組曲カレリア」に改編しました。本日演奏するカレリア序曲は組曲と比べて演奏される機会が少ない曲ですが、カレリア地方の生き生きとした人々の姿や、雄大な自然の情景を色濃く感じる事が出来る素晴らしい名曲です。

(文責:面川浩史 Trumpet)

ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47 
Violin Concerto in D minor Op. 47

シベリウスは、ヘルシンキにおいて交響曲第2番の初演を自らの指揮により成功させた後、1903年11月頃から、トゥースラ湖の岸辺に新居の建設を始めた。当時、この地域は開発が進んでおらず、ヘラジカ等の野生動物が姿を見せることもあった。都会の喧騒から逃れてか、ここには画家や小説家等の複数の芸術家が生活していた。シベリウスの新居は妻の名(アイノ)にちなんで「アイノラ」と呼ばれることとなった。

ヴァイオリン協奏曲は、シベリウス一家がアイノラに転居することとなる年(1904年)の2月、ヘルシンキにおいて自らの指揮により初演したが、評価は芳しくなかった。翌年、ベルリンにおいてブラームス作曲のヴァイオリン協奏曲を聴いたシベリウスはこれに感銘を受け、自らのヴァイオリン協奏曲を大幅に改訂した結果、より洗練された作品となり、今日まで広く親しまれることとなった。

コンチェルト(日本語では「協奏曲」と訳される。)は、「競い合う」、「論争する」といった意味の言葉に由来するものである。古くは声楽群と器楽群の、あるいは、大小2群の合奏体の呼応を特徴とする様式を指すこともあった。古典派以降は、独奏と管弦楽のための3つの楽章を持つ楽曲を指すことが一般的であり、また、各楽章の終結部等には管弦楽を伴わない即興的な独奏部分(「カデンツァ」という。)が置かれることがある。

本作品の第1楽章の冒頭についてシベリウスは、「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と述べたといわれる。この楽章は、3つの主題をもつソナタ形式の楽章であるが、展開部に当たる部分がカデンツァとなっているという点が特徴の1つである(なお、改訂前には、終結部の前にも別途カデンツァが置かれていた。)。管弦楽も脇役にとどまらず、第1楽章ではヴァイオリン独奏と各楽器が密接に絡み合い、第2楽章では息の長い旋律をヴァイオリン独奏と歌い合う。舞曲を思わせる第3楽章では、一変してヴァイオリン独奏の華やかな技巧に焦点が当てられ、フィナーレを飾る。

第1楽章 Allegro moderato – Allegro molto –
Moderato assai – Allegro moderato – Allegro molto vivace
第2楽章 Adagio di molto
第3楽章 Allegro ma non troppo

(文責:清永琢己 Violin)

交響曲第2番 ニ長調 作品43 
Symphony No. 2 in D major Op. 43

シベリウスは生涯に7つの交響曲を残した。そのなかで、第2番は今日もっともよく演奏され、交響詩「フィンランディア」と並ぶ知名度の高い作品である。

1900年の交響曲第1番(改訂版)の演奏会成功後、シベリウスはあるパトロンの支援を得て妻アイノと二人の娘を連れてイタリアへ長期の旅行に出た。(途中、ベルリンでリヒャルト・シュトラウスら著名な音楽家と親交を深め、リストのオラトリオ「キリスト」を聴いて感激したという。)

イタリアで滞在したのは北部の港町ラパッロ。ここで交響曲や連作交響詩の作曲を進めた。ただし、寒冷なフィンランドからやってきたシベリウス一家は、南国イタリアの温暖な気候には新鮮感だけでなく違和感も覚えたようである。
結局、交響曲は帰国後に完成させ、大幅な改訂を経て、初演は1902年3月に、ヘルシンキ・フィルハーモニック協会オーケストラ(現・ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団)の演奏、シベリウス自身の指揮によって行われた。3回にわたって追加公演が組まれるほどの大成功だった。

この曲は、初演直後から、ロシア統治下にあったフィンランド人の愛国的心情を表現したものとの評判だったが、シベリウス自身がそのような標題的な意図を否定したと伝わる。作曲者としてはむしろ深い精神的世界を表現したつもりであったのかもしれない。

この曲の演奏には、1903年に刊行されたBreitokopf& Hartel社のスコアが長らく使われてきたが、同社は2000年に自筆譜に基づく改訂版を出版した。強弱やフレージングなどアーティキュレーションに数多くの変更があり、本日の演奏も改訂版に基づいている。

第1楽章 Allegretto

弦楽器のユニゾンで寄せては返すさざ波のように始まる。シベリウスがラパッロで触れた自然を表現しているといわれる。第1主題はクラリネットとオーボエが軽快に奏で、弦のピッツィカートが次第に盛り上がったところで、木管楽器による第2主題が現れる。

展開部はそれぞれの主題に冒頭の波のモチーフも用いられて長尺に展開し、金管楽器により頂点に達する。再現部の後、冒頭と同じ静かな波が消えていくように終わる。

この楽章の冒頭は、初稿では6 拍子の2拍目から始まっていた。それを、シベリウスは初演に向けた改稿の際に5拍目に直したとの話しがある。弾き比べてみると、後者の方がより遠く静かなところから寄せてくる波を確かに表現しているのだと実感できる。

第2楽章 Tempo andante, ma rubato – Andante sostenuto

この楽章にはスペインの伝説の人物ドン・ファンと石像の客がモチーフとしてちりばめられている。ティンパニの連打のあと、低弦のピッツィカートに乗ってファゴットが独白的に歌う最初の主題は、石像(死の客)の訪問を表現している。

つづく98小節目からのアンダンテ・ソステヌートでは、2つ目の主題が弦楽器によってpppで祈るように奏でられる。シベリウスは、この部分の直前のパウゼ(全休)にフェルマータを書き、さらにlunga(長く)と追記している。

自筆譜にはここに「キリスト」と記してあったという。ドン・ファンの高笑いを表現しているといわれる木管楽器のトリルのあと、最後は弦楽器群による二短調の強烈なピチカートで終わる。

第3楽章 Vivacissimo – Trio. Lento e soave – attacca

スケルツォに相当する楽章である。弦楽器による強く慌ただしい動機に管楽器の副主題が合流する。トリオでは、牧歌的な旋律をオーボエ、フルート、ソロ・チェロが奏でる。2度目のトリオからattacca(つづけて演奏する)でフィナーレに入る。

第4楽章 Allegro moderato – Moderato assai – Molto largamente

練習時の水戸先生曰く「急上昇した飛行機が雲を突き抜けて青空が広がったように、強さの中に穏やかさがある」主題で始まる(第3楽章の最後はfff、第4楽章の冒頭はf)。ニ長調の前向きなこの楽章だが、ヴィオラとチェロによる底から込み上げるような8分音符の伴奏に、木管楽器が悲哀な旋律を奏でる個所が2度現れる。最後は金管楽器による堂々たるファンファーレで締めくくられる。

追記

1956(昭和31)年の結成から66年を迎える当団では、シベリウスの交響曲第2番は第39回定期演奏会(1994年)につづき2回目の演奏である。

(文責:市川智生 Cello)

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